誉田別命(ホンダワケノミコト)のご利益と神社
誉田別命(ほんだわけのみこと)はどんな神さま?描かれる姿とご利益、神社紹介出典:応神天皇(Art Mochida Daisuke)誉田別命とは?ホンダワケ命は「応神天皇」や「八幡神」の名で知られています。戦前までは武神として崇められていましたが、戦後から平和観念が浸透していくなかで、教育や縁結びなど日常生活に根ざした諸願成就の神さまへと変化していきます。「八幡さま」を祀る神社は全国に約4万ほど。日本中のどこでも出会える神さまです。誉田別命の名称・神格・ご利益名称古事記品陀和氣命(ほむだわけのみこと)大鞆和気命(おおともわけのみこと)日本書紀譽田天皇(ほむたのすめらみこと)誉田別尊(ほむたわけのみこと)胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)播磨国風土記品太天皇(ほむだのすめらみこと)上宮記凡牟都和希王(ほむつわけのみこ/ほむたわけのみこ)別称八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)応神天皇(おうじんてんのう)神格文武の神厄神ご利益国家鎮護殖産産業家運隆昌成功勝利教育交通安全悪病災難除け子孫繁栄厄除け関連神父神仲哀天皇母神神功皇后自分の守護神から運勢を調べる方法日本文化の基礎を築いた天皇出典:誉田別尊坐像(日本の神様読み解き辞典)誉田別命は筑紫国(福岡県)で生まれ、大和に戻り母の神功皇后の摂政のもと皇太子となり、皇后の死後に第十五代天皇に即位します。歴代天皇の中で「神」の字がつく天皇は第一代「神武天皇」、第十代「崇神天皇」、そして第十五代である「応神天皇」以外にいません。神武・崇神天皇は「ハツクニシラススメラミコト」と書かれており、はじめて国を建てた天皇であるとされますが、多くの史家が応神天皇をもって歴史時代の始まりであるとし、神功皇后・応神天皇をもって日本国家確立期としています。応神天皇の時代は、国内・海外に関する事績が多く伝えられました。国内では、山守部・海人・吉野国栖人らを従え、東蝦夷の朝貢を受けます。また、筑紫に武内宿禰を派遣し農民を統轄させ、吉備国には自ら行幸するなど、支配権の拡大・強化が強調されています。海外では、この時代に三韓から多くの文化が渡来。絹縫部の祖とされる弓月君が、百済に住む人々を率いて帰化したのも応神天皇十四年のこと。翌十五年には、百済王の太子・阿直岐の来朝があり、さらに翌年には、百済の王仁が、論語・千文字を持って来朝し、菟道稚郎子うじのわきいらつこの師となります。四十一年の治世で、百済からの3人の帰化人を受け入れ、中国の文芸や工芸を積極的に導入するなど、優れた治世を行い日本文化の基礎を築きました。その治世は学問的にも日本の歴史時代の始まりと言われています。八幡神として全国に広がる出典:応神天皇「日本の神々辞典」死後に「応神」の諡号を贈られた天皇は、のちに八幡信仰の祭神とされ八幡神・八幡大菩薩と呼ばれて文武両道の神としてその神威が全国に広がります。また、聖母神の神功皇后とともに、母子神信仰の神としても崇敬されます。中世以降、八幡信仰は発祥地の宇佐八幡宮(大分県)、石清水八幡宮(京都府)、源頼朝が創祀した拡大発展拠点の鶴岡八幡宮の三社を核として全国に広がります。特に武家の棟梁・源氏の守護神となったことで、各地の武士層から庶民へ浸透していきました。ホンダワケ命が八幡神として信仰されるようになった経緯は明らかにされていませんが、その時期をうかがわせる古い縁起があります。平安後期の歴史書『扶桑略記』では、欽明天皇の御代(539年~571年)に八幡神が現れたという次のような話があります。豊前国(大分県)宇佐郡の厩峰の麓にある菱潟池のほとりに一人の容姿奇異な鍛冶の翁が住んでいた。その翁が金色の鷹や鳩に変わるのを偶然見た大神比義という神主は翁に仕えます。そして、翁に仕えて3年経ったある日、大神比義は「もし神ならば私の前に姿を表してください」と祈ると、翁は三歳ほどの童子に姿を変え、竹の葉の上に立ち「われは十五代の応神天皇であり、護国霊験威身神大自在王菩薩なり」と名乗ります。歴史上の応神期は四世紀末にあたり、朝鮮半島進出や東国平定など大和朝廷が大いに発展した時代。そうした時代的な状況の中で、八幡神とホンダワケ命が結びついたというのが定説となっています。誉田別命を祀る神社出典:八幡神社の総本社「宇佐神宮」Wikipedia石狩八幡神社北海道石狩市弁天町1八幡秋田神社秋田県秋田市千秋公園1-8六椹八幡宮山形県山形市鉄砲町1-3-5飯坂総鎮守八幡神社福島県福島市飯坂町八幡6-1上野国一社八幡八幡宮群馬県高崎市八幡町655鶴岡八幡宮神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31鳩森八幡神社東京都渋谷区千駄ケ谷1-1-24葛飾八幡宮千葉県市川市八幡4-2-1窪八幡神社山梨県山梨市北654越中護国八幡宮富山県富山市八幡718八幡神社福井県坂井市春江町江留上本町32-7-1尾張八幡神社愛知県知多市八幡荒古後86日牟禮八幡宮滋賀県近江八幡市宮内町257郡山八幡神社奈良県大和郡山市柳4-25石清水八幡宮京都府八幡市八幡高坊30八幡宮(横堤八幡宮)大阪府大阪市鶴見区横堤2-8-25八幡神社(垪和郷一の宮)岡山県久米郡美咲町大垪和西238富田八幡宮島根県安来市広瀬町広瀬85今八幡宮山口県山口市上宇野令828-1総鎮守 八幡神社愛媛県八幡浜市矢野町神山510高知八幡宮高知県高知市はりまや町3-8-11到津八幡神社福岡県北九州市小倉北区上到津1-8-1宇佐神宮大分県宇佐市南宇佐2859宮崎八幡宮宮崎県宮崎市宮田町3-27蒲生八幡神社鹿児島県姶良市蒲生町上久徳2259-1八幡神社鹿児島県熊毛郡南種子町中之下797琉球八社 安里八幡宮沖縄県那覇市安里3-19-14八幡様を祀る全国の八幡系の神社は、三万とも四万とも言われており、分詞の数の多さでは稲荷社についで第二位です。八幡信仰の源流は古くから母子神信仰だったと考えられていることから、誉田別命とともに母神の神功皇后を祀るところが多く、縁結び、子宝、安産、子育てのご利益もあるとされ人々から信仰されています。「応神」という諡名おくりなの出典は不明ですが、応神とは死後の諡号で、通称として使われています。祭神名の多くは生前の名である誉田別命(ほんだわけのみこと)で祀られています。
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